ブログ用

ブログ用

2014年10月5日日曜日

産直センター 潟の店に行く

 大潟村にある[道の駅おおがた]産直センター 潟の店に行った。目的は野菜を買うために。最近、野菜が高騰している。ここは産直なので新鮮でしかも安い。トマトやナスなどの野菜を買い、そうこうしているうちにお昼近くなったので、中にある「農村レストランなのはな」でハンバーグ定食を食べる。自由にとって食べられる漬け物や野菜が置いてある。美味しかった。10月11日、12日には「秋の大収穫祭」が開催される。新千歳空港直送の北海道空弁販売も行われるようだ。新米玄米30キロが税込で7,000円。安い
 ※八郎潟は、総面積2万2,024ヘクタールあり、琵琶湖につぐ日本第2の広さを誇る湖であったが、20年におよぶ今世紀最大の事業「八郎潟干拓」が行われ、大潟村が誕生した。秋田駅から車で約1時間、男鹿半島には40分で行ける。春の菜の花畑と桜並木は壮大で素晴らしい景観である。

2014年10月4日土曜日

第9回「蔵の日」…秋田イベントその19

 明日、5日(日)は、秋田県横手市増田町で、第9回「蔵の日」が開催される。全国で105番目に重要伝統的建造物群(重伝建)保存地区として選定された町並みと、内蔵や主屋など歴史的建造物(全25棟)が一般公開される。
 この増田町には私はかつて中学時代、住んでいたことがあり懐かしく感じられる町である。昔風の建物が多く立ち並んでいたような記憶が残っており、こうして古き町がにぎやかになるのはうれしい限りである。
---------------------------------------------------------------------------------
「 重伝建選定記念開催・国文祭協力開催
  ~文化の町・増田のまちなみ巡り~
    
 開催日時:平成26年10月5日(日) 午前9:00~午後4:00 
 会   場 :横手市増田町中七日町(歩行者天国)、本町・上町の一部
 見 学 料 :500円(共通見学料)、中学生以下無料 
 主   催 :増田『蔵の日』実行委員会
 共   催 :増田「蔵の会」・横手市・一般社団法人増田町観光協会 」
-----------------------------------------------------------------------------------  
 色々と楽しいイベントが企画されている。詳しくはこちらへ
 (一般社団法人増田町観光協会ホームページより)

2014年10月3日金曜日

皇太子さま秋田に

 皇太子さまが秋田にお越しになった。国民文化祭の開会式出席などのため秋田県を訪問中の皇太子さまは今日午後、横手市を訪れ、内部に立派な蔵を備えた特殊な構造の家屋が残る「横手市増田伝統的建造物群保存地区」を見て回られた。
      増田・内蔵のある町特集ページ (横手市ホームページ)
 いよいよ明日から、国民文化祭が始まる。

2014年10月2日木曜日

夕陽温泉WAO…温泉その21

 何年かぶりに男鹿温泉郷から少し離れた(旧若美町)宮沢海岸近くにある夕陽温泉WAOに行った。泉質は弱アルカリ性食塩泉。全身浴・気泡浴・圧注浴・寝湯・白湯・冷水・露天風呂と7種類のお風呂がある。北緯40度に位置し、日本海に沈む夕日が美しいところ。平日のお昼とあってゆっくりと入浴し、のんびり過ごすことができた。

 ■入湯料/中学生以上400円|小学生250円 ※休憩室は自由に利用できる。

2014年10月1日水曜日

芭蕉の句(象潟にて)

秋田県象潟において芭蕉は、次の句を詠んでいる。
「象潟(きさかた)や雨に西施(せいし)がねぶの花」

 「秋田県象潟に来て、雨に煙る潟湖の風景を眺めると、雨に葉をとじた合歓の花が咲いていて、あの西施が悩ましげに目を細めているような風情。蘇東披が西施にくらべた西湖の面影が偲ばれる」と言う意味である。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
 「西施」は王昭君・貂蝉・楊貴妃と並び、中国四大美女の一人である。その「西施」という名前を句の中に歌い「ねぶ(ねむ)の花」という語が暗に「西施」が「眠る」の二重の意味に掛けた複雑な比喩を表現している。
 また、ねぶの花に中国周時代の傾城の美女「西施」への想いを重ね、蘇東坡(蘇拭)の詩「飲湖上初晴後雨(湖上に飲む、初め晴れ後雨ふる)」をふまえている。その中に「西湖をもって西子に比せんと欲すれば 淡粧濃沫総て相宜し」と歌われている。
 奥の細道の象潟に「~俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。~」と記述している。これは、松島は美人の笑顔のような華やかさだが、象潟は美人が物思いに耽っているように寂しさと悲しさを重ね合わせた感じである、という意味である。芭蕉は、松島を、「松島は扶桑第一の好風」と日本一のよい景色と、中国の洞庭、西湖、浙江の潮と同じくらい絶賛している。しかし、その松島では句を詠んでいない。
 芭蕉は、“松島の月先心にかかりて”と、松島が旅の頂点であることを予想して旅立ったのになぜ最北の地の象潟に行ったのか、そして句を詠んでいない松島と比較しとのは、何を意図していたのか。
 あらためて、句を読み返してみると松島と比較することで相乗効果をねらい、二つの場所の景観の素晴らしさを強調しているのではないか。そして雨に濡れて咲いているねぶの花に西施の妖艶な女性のイメージを重ねることにより一層、雨に煙る象潟の風景全体を象徴しており、美しい景色に強く感動したことが感じられ、それをこの句で表現していると思われる。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
■出典 田中善信著 『芭蕉』「かるみ」の境地へ 中央新書2010
■参考文献 「二重像の詩学 : 比喩と対句と掛詞」 著者 川本 皓嗣(url;http://id.nii.ac.jp/1160/00000111/ )
「奥の細道・芭蕉を解く その心匠と空間の謎」 安原盛彦 鹿島出版会2006

2014年9月22日月曜日

MOOCで学習(中世における「自由」・「平等」・「平和」)

 中世における「自由」・「平等」・「平和」について  
~はじめに~
 このレポートは私がMOOC(Massive Open Online Courses、大規模オープン・オンライン・コース)というのを知り、「日本中世の自由と平等」の講座を初めて学習したときの感想文である。講師は東京大学教授 本郷和人氏。
◆講義内容
 歴史は科学であり、また、「ゾレン」と(当為)と、「ザイン」(実情)という二つの歴史認識をもって歴史を捉えることが大切であることを学んだ。
「自由」は・・・
 中世は、荘園制の中で、土地の「所有」という概念が成熟していく過程であり、所有権の未成熟時代であったと言える。それは、土地を与えることは、源頼朝の時代は、あくまでも土地の権利のことを言い、後の豊臣秀吉の時代になると、その土地すべてを所有するというカタチになる。後者の時代になってようやく、所有権が成熟したと言える。ドイツの哲学者ヘーゲルの『法の哲学』に「自由とは所有である」と表現している。この言葉を借りると、中世という時代はまさに「自由」が進展する過程であると言える。
「平等」は・・・
 中世は、村落(リゾーム)の安定のために仏教思想による「一味同心」が浸透していった時代であった。『法然上人絵伝』によると、法然の弟子になった熊谷直実は、身分差別により、法然と九条兼実との法談を聴くことを許されず、「人は平等である」と異議を唱えたことが記録されている。織田信長は理念の異なる、「平等」への指向を内包する一向宗を弾圧した。その戦いは、一つの頂点をもたない「リゾーム」と武士集団「ツリー」の戦いであった。中世的な「平等」というものは、戦いの中で、いったん収束する。
「平和」は・・・
 戦国時代が終わり、日本は一つに統一された。その後、江戸時代には、急激に人口が増加した。江戸時代初めの100年で日本の人口が1300万人増加したのに対し西暦600年から中世を含めた千年の間にその増加は600万人にとどまっている。
それは、中世よりも江戸時代が「平和」な時代だったことを意味し、古代から中世が終わるまでの人口の増加を見ると緩やかであたたり、中世には、本当の「自由」はなかったのではないかと推論される。
 以上、簡単にまとめると・・・
 中世は、政治、文化、思想と多様な側面と新しいものを生む多くの可能性をもっていた時代であった。「自由」、「平等」は発展過程にあり、決して「平和」な時代であるとは言えない時代であったと思われる。
  ----ということを学び、中世という時代を認識できた。

2014年9月9日火曜日

角館のお祭り…秋田イベントその18

 角館のやまぶつけを何十年ぶりだろうか久しぶりに見に行った。小さいころに見たことがあったが、物心がついてなかったので、あまり、記憶に残っていない。期待しながら町に入った。このお祭りは9月7日~9日の3日間、行われる。18台の曳山には笛、大太鼓・小太鼓、擂り鉦、三味線等により飾山囃子を奏でる人たちが乗り、囃しながら、秋田おばこたちが艶やかに手踊りを披露する。曳山は神明社・薬師堂への参拝、佐竹北家への上覧等を目的として練り歩く。やまぶつけはお互いに曳山をひっぱって歩く途中で行われる。相手の曳山と話し合うことを「交渉」という。参拝等を終え、進行の目的がなくなると通行の優先権がなくなり、交渉しても決裂してしまう。実力で通ることになるため「やまぶつけ」の場面になる。この時が曳き手もお囃子も最高潮になり、祭りの頂点に達する。
 町をぶらぶらと歩いていると陽が暮れかけ初めて来た。少し先の小路で何やら交渉し合っている場面を見つけ、近くに行き様子を観ていた。しばらくすると交渉が決裂してしまったみたいで急にやまぶつけが始まった。やまが「ドーン!」とぶつかりあってびっくりした。迫力があって面白い。やまが壊れはしないかと気になったが、そんなことにおかまいなく、秋田おばこたちは囃しに合わせながらそのまま手踊りを続けていた。何度とやまぶつけは繰り返された。
 町の人たちは大人も子供もはっぴ姿で一年に一度のお祭りに溶け込んでいた。にぎやかで、派手で、楽しい、このような雰囲気は昔ながらの立ち並ぶ武家屋敷と相まって何とも言われない風情が感じられた。
 来年も来てみたい。今度は最終日の9日にしようと思っている。最終日は、やまぶつけがもっと激しくなるらしいので。
 
◆ 国指定重要無形民俗文化財「角館祭りのやま行事」
 毎年9月7、8、9日に行われる角館のお祭りのはじまりは、今から350年ほど   前。地域の繁栄や商売繁盛、家族の無病息災などを祈願するもので、神明社(9月7、8日)と薬師堂(9月8、9日)の祭りが一緒になったもの。 

「角館のやまぶつけ」