ブログ用

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2012年10月23日火曜日

「おくのほそみち」 象潟

「おくのほそみち」
 ”月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。…(省略)松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。…(省略)”
 元禄2年(1689)、松尾芭蕉は門人の曾良とともにみちのくを旅をした。最北の地として秋田県象潟(現 にかほ市)を訪れたのはその年の6月16日(新暦の8月1日)、今から300年以上も前のこと。象潟を訪れた芭蕉は、「松島は美人が笑っている様な感じだが、象潟は憾んでいるような感じである。寂しい感じに悲しみが添うて、この土地の様子はまるで美人が心を悩ましているもののような感じである。」―と。また、芭蕉は雨にうたれるネムの花に、中国の悲劇の美女西施を思い浮かべ、「象潟や雨に西施がねぶの花」(きさかたや あめにせいしが ねぶのはな)と詠んでいる。

(意味:西施は、越王勾踐<こうせん>の愛妾。越王勾踐は、絶世の美女西施のうつくしさにおぼれ、これが国の存亡の危機になるのではないかとかんがえた臣下の笵蠡<はんれい>は、一計を案じて彼女を敵国の呉王夫差<ふさ>に与えてしまった。案の定、呉王は彼女に耽溺し、たちまち国は乱れた。その機に乗じて越は呉をせめて陥落させ、西施は取り戻された。しかし、彼女がいると国難のもととなるであろうと考えた笵蠡は西施を暗殺し、水に沈めてしまう。美しいばかりに不幸であった西施の悲劇である。さて、一句、松島は男性的、象潟は女性的。その女性の代表として西施がいる。        参考:『伊 藤 洋のページ「芭蕉のDB」』)
 象潟蚶満寺の境内には芭蕉像と句碑、西行桜などがある。詳しくは象潟郷土資料館を。