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2014年10月13日月曜日

「男はつらいよ」寅さんの啖呵売り口上

 寅さんの「男はつらいよ」の映画は、何度観ても面白い。人情味あふれる寅さん、渥美清演じる主人公"フーテンの寅"こと車寅次郎が、約20年ぶりに故郷の葛飾柴又に戻ってきたところからこの映画が始まる。寅次郎の腹違いの妹さくら、おいちゃん、おばちゃんらが商売しているだんご屋を中心に、寅次郎が全国を放浪し、そこで出会った"マドンナ"に恋をする。必ず、なにかと騒動を起こす。テキヤの寅さんが啖呵売りするときの口上は、心地よいテンポと独特の言い回しがあって爽快な気分になる。
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  「さあ、ものの始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島。博打打ちの始まりが熊坂の長範。赤い赤いは何見て分かる。赤いもの着て舞い廻るものは、木仏(きぶつ)か金仏石仏(かなぶつ・いしぼとけ)。千里旅する汽車でさえ、赤い旗見てちょいと停まるというやつ。続いた数字が二つ。兄さん寄ってらっしゃいは、吉原のカブ。仁吉が通る東海道。憎まれ小僧、世に憚る。仁木(にっき)の弾正お芝居の上での憎まれ役、と言う。 続いて数字が三つ。ほら、三三六法で引け目がない。産で死んだが三島のお千。お千ばかりが女子(おなご)じゃないよ。京都は極楽寺坂の門前で三日三晩飲まず食わずに野垂れ死んだのが三十三。 続いた数字が四つ。四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水。粋な姐(ねえ)ちゃん立ちしょんべん。」
 次に五つと続く。・・・

2014年10月10日金曜日

「蜩ノ記(ひぐらしのき)」を鑑賞

 イオンモール秋田のTOHOシネマズで「蜩ノ記(ひぐらしのき)」を鑑賞した。
 黒澤明監督に師事し、長く助監督を務めた経験を持つ小泉堯史監督が葉室麟(はむろ・りん)の直木賞受賞作品「蜩ノ記(ひぐらしのき)」を映画化した作品である。
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 城内で刃傷沙汰を起こした檀野庄三郎(岡田准一)は、隠遁生活を送る戸田秋谷(とだ・しゅうこく)が逃亡しないよう、監視を命ぜられる。戸田秋谷(役所広司)は以前に重大な事件を起こした罪で10年後の夏に切腹すること、切腹の日までに、藩の歴史を記す「家譜」を完成させることを命ぜられていた。その切腹の日は3年後に迫っていた。庄三郎は戸田家に移り住み、秋谷の妻・織江(原田美枝子)、娘・薫(堀北真希)、息子・郁太郎(吉田晴登)とともに暮らし始める。
 武士の誇りと忠義心という、そして松吟尼役(寺島しのぶ)の秋谷への命の恩人としての想いが切腹という過酷な運命が待っているにもかかわらず、一日一日を大切に、淡々と家譜づくりに勤しむ秋谷。夫に深い愛情と信頼を寄せ、家族に尽くしながら穏やかに日々を過ごす、妻の織江。そんな両親の背中を見ながら、必死に強い心で生きようとする薫と郁太郎。
  秋谷のおだやかで書を好む気質、揺るぎない姿、それを支える家族の姿に感銘を受けた庄三郎は、秋谷が切腹に追い込まれた事件に疑問を抱き、彼を救うべく、真相を探り始める。やがて庄三郎は、事件の真実を暴き藩政を揺るがす、重大な文書を松吟尼から入手する。そして・・・
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 夫婦愛・家族愛そして松吟尼の秋谷を想う心が、ほどよく味のある映画に仕立てている。薫は『柚子は九年で花が咲く』と、言う。花が咲いた後はその日がやってくる、時の流れはどうすることもできない、人生のはかなさ、むなしさが感じられる。

2014年10月8日水曜日

月至天心處

「月至天心」月 天心に至るところ
 月が空の中心に上ったところ。下の句は「處風来水面時」(風水面に来る時)風が水面を吹きわたる時、自然派最もその美しい姿を見せる。
         出典:[宋邵雍䁘「静夜詩」] 新選墨場必携 中央公論社

 今日は、皆既月食の「月」を撮った。たまに見る月も風情があっていい。

2014年10月6日月曜日

「柘榴坂の仇討」を鑑賞した

 劇場で映画を見るのは楽しい。今日は、秋田駅に直結しているアルヴェの中にあるルミエール秋田で「柘榴坂の仇討」を鑑賞した。
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映画は、・・・
 浅田次郎の小説『柘榴坂の仇討』(ざくろざかのあだうち)を、『沈まぬ太陽』の若松節朗監督が、中井貴一主演に迎えて映画化した本格時代劇である。中村吉右衛門が19年ぶりに映画出演をしており他に阿部寛、広末涼子らが共演している。安政七年三月三日の桜田門外で大老の井伊直弼(中村吉右衛門)は水戸脱藩浪士らに殺害された(「桜田門外の変」)。主君を守り切れなかった彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は自害することを許されず、仇を討てとの藩命が下された。志村金吾は明治の世になり時代が大きく変わっても武士としての誇りと忠誠心を持ち、仇を捜し続けることだけに生きていた。そして、とうとう最後の仇に巡り会うことができた。阿部寛はその仇のひとりである水戸浪士・佐橋十兵衛を演じている。
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 この映画は、夫婦愛、人の愛、そして生きることの意味を考えさせてくれる。また、ラストシーンの白く積もった雪の坂道に鮮やかに咲いている柘榴がこの世の無常さを演出しているかのようだ。妻・セツ(広末涼子)と二人で歩く姿に、ささやかに余生を送る光景が見える。そのようなことが感じられ、なんとも言われない余韻を残している。久しぶりに感動させてくれた映画であった。

2014年10月5日日曜日

産直センター 潟の店に行く

 大潟村にある[道の駅おおがた]産直センター 潟の店に行った。目的は野菜を買うために。最近、野菜が高騰している。ここは産直なので新鮮でしかも安い。トマトやナスなどの野菜を買い、そうこうしているうちにお昼近くなったので、中にある「農村レストランなのはな」でハンバーグ定食を食べる。自由にとって食べられる漬け物や野菜が置いてある。美味しかった。10月11日、12日には「秋の大収穫祭」が開催される。新千歳空港直送の北海道空弁販売も行われるようだ。新米玄米30キロが税込で7,000円。安い
 ※八郎潟は、総面積2万2,024ヘクタールあり、琵琶湖につぐ日本第2の広さを誇る湖であったが、20年におよぶ今世紀最大の事業「八郎潟干拓」が行われ、大潟村が誕生した。秋田駅から車で約1時間、男鹿半島には40分で行ける。春の菜の花畑と桜並木は壮大で素晴らしい景観である。

2014年10月4日土曜日

第9回「蔵の日」…秋田イベントその19

 明日、5日(日)は、秋田県横手市増田町で、第9回「蔵の日」が開催される。全国で105番目に重要伝統的建造物群(重伝建)保存地区として選定された町並みと、内蔵や主屋など歴史的建造物(全25棟)が一般公開される。
 この増田町には私はかつて中学時代、住んでいたことがあり懐かしく感じられる町である。昔風の建物が多く立ち並んでいたような記憶が残っており、こうして古き町がにぎやかになるのはうれしい限りである。
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「 重伝建選定記念開催・国文祭協力開催
  ~文化の町・増田のまちなみ巡り~
    
 開催日時:平成26年10月5日(日) 午前9:00~午後4:00 
 会   場 :横手市増田町中七日町(歩行者天国)、本町・上町の一部
 見 学 料 :500円(共通見学料)、中学生以下無料 
 主   催 :増田『蔵の日』実行委員会
 共   催 :増田「蔵の会」・横手市・一般社団法人増田町観光協会 」
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 色々と楽しいイベントが企画されている。詳しくはこちらへ
 (一般社団法人増田町観光協会ホームページより)

2014年10月3日金曜日

皇太子さま秋田に

 皇太子さまが秋田にお越しになった。国民文化祭の開会式出席などのため秋田県を訪問中の皇太子さまは今日午後、横手市を訪れ、内部に立派な蔵を備えた特殊な構造の家屋が残る「横手市増田伝統的建造物群保存地区」を見て回られた。
      増田・内蔵のある町特集ページ (横手市ホームページ)
 いよいよ明日から、国民文化祭が始まる。

2014年10月2日木曜日

夕陽温泉WAO…温泉その21

 何年かぶりに男鹿温泉郷から少し離れた(旧若美町)宮沢海岸近くにある夕陽温泉WAOに行った。泉質は弱アルカリ性食塩泉。全身浴・気泡浴・圧注浴・寝湯・白湯・冷水・露天風呂と7種類のお風呂がある。北緯40度に位置し、日本海に沈む夕日が美しいところ。平日のお昼とあってゆっくりと入浴し、のんびり過ごすことができた。

 ■入湯料/中学生以上400円|小学生250円 ※休憩室は自由に利用できる。

2014年10月1日水曜日

芭蕉の句(象潟にて)

秋田県象潟において芭蕉は、次の句を詠んでいる。
「象潟(きさかた)や雨に西施(せいし)がねぶの花」

 「秋田県象潟に来て、雨に煙る潟湖の風景を眺めると、雨に葉をとじた合歓の花が咲いていて、あの西施が悩ましげに目を細めているような風情。蘇東披が西施にくらべた西湖の面影が偲ばれる」と言う意味である。
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 「西施」は王昭君・貂蝉・楊貴妃と並び、中国四大美女の一人である。その「西施」という名前を句の中に歌い「ねぶ(ねむ)の花」という語が暗に「西施」が「眠る」の二重の意味に掛けた複雑な比喩を表現している。
 また、ねぶの花に中国周時代の傾城の美女「西施」への想いを重ね、蘇東坡(蘇拭)の詩「飲湖上初晴後雨(湖上に飲む、初め晴れ後雨ふる)」をふまえている。その中に「西湖をもって西子に比せんと欲すれば 淡粧濃沫総て相宜し」と歌われている。
 奥の細道の象潟に「~俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。~」と記述している。これは、松島は美人の笑顔のような華やかさだが、象潟は美人が物思いに耽っているように寂しさと悲しさを重ね合わせた感じである、という意味である。芭蕉は、松島を、「松島は扶桑第一の好風」と日本一のよい景色と、中国の洞庭、西湖、浙江の潮と同じくらい絶賛している。しかし、その松島では句を詠んでいない。
 芭蕉は、“松島の月先心にかかりて”と、松島が旅の頂点であることを予想して旅立ったのになぜ最北の地の象潟に行ったのか、そして句を詠んでいない松島と比較しとのは、何を意図していたのか。
 あらためて、句を読み返してみると松島と比較することで相乗効果をねらい、二つの場所の景観の素晴らしさを強調しているのではないか。そして雨に濡れて咲いているねぶの花に西施の妖艶な女性のイメージを重ねることにより一層、雨に煙る象潟の風景全体を象徴しており、美しい景色に強く感動したことが感じられ、それをこの句で表現していると思われる。
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■出典 田中善信著 『芭蕉』「かるみ」の境地へ 中央新書2010
■参考文献 「二重像の詩学 : 比喩と対句と掛詞」 著者 川本 皓嗣(url;http://id.nii.ac.jp/1160/00000111/ )
「奥の細道・芭蕉を解く その心匠と空間の謎」 安原盛彦 鹿島出版会2006

2014年9月22日月曜日

MOOCで学習(中世における「自由」・「平等」・「平和」)

 中世における「自由」・「平等」・「平和」について  
~はじめに~
 このレポートは私がMOOC(Massive Open Online Courses、大規模オープン・オンライン・コース)というのを知り、「日本中世の自由と平等」の講座を初めて学習したときの感想文である。講師は東京大学教授 本郷和人氏。
◆講義内容
 歴史は科学であり、また、「ゾレン」と(当為)と、「ザイン」(実情)という二つの歴史認識をもって歴史を捉えることが大切であることを学んだ。
「自由」は・・・
 中世は、荘園制の中で、土地の「所有」という概念が成熟していく過程であり、所有権の未成熟時代であったと言える。それは、土地を与えることは、源頼朝の時代は、あくまでも土地の権利のことを言い、後の豊臣秀吉の時代になると、その土地すべてを所有するというカタチになる。後者の時代になってようやく、所有権が成熟したと言える。ドイツの哲学者ヘーゲルの『法の哲学』に「自由とは所有である」と表現している。この言葉を借りると、中世という時代はまさに「自由」が進展する過程であると言える。
「平等」は・・・
 中世は、村落(リゾーム)の安定のために仏教思想による「一味同心」が浸透していった時代であった。『法然上人絵伝』によると、法然の弟子になった熊谷直実は、身分差別により、法然と九条兼実との法談を聴くことを許されず、「人は平等である」と異議を唱えたことが記録されている。織田信長は理念の異なる、「平等」への指向を内包する一向宗を弾圧した。その戦いは、一つの頂点をもたない「リゾーム」と武士集団「ツリー」の戦いであった。中世的な「平等」というものは、戦いの中で、いったん収束する。
「平和」は・・・
 戦国時代が終わり、日本は一つに統一された。その後、江戸時代には、急激に人口が増加した。江戸時代初めの100年で日本の人口が1300万人増加したのに対し西暦600年から中世を含めた千年の間にその増加は600万人にとどまっている。
それは、中世よりも江戸時代が「平和」な時代だったことを意味し、古代から中世が終わるまでの人口の増加を見ると緩やかであたたり、中世には、本当の「自由」はなかったのではないかと推論される。
 以上、簡単にまとめると・・・
 中世は、政治、文化、思想と多様な側面と新しいものを生む多くの可能性をもっていた時代であった。「自由」、「平等」は発展過程にあり、決して「平和」な時代であるとは言えない時代であったと思われる。
  ----ということを学び、中世という時代を認識できた。

2014年9月9日火曜日

角館のお祭り…秋田イベントその18

 角館のやまぶつけを何十年ぶりだろうか久しぶりに見に行った。小さいころに見たことがあったが、物心がついてなかったので、あまり、記憶に残っていない。期待しながら町に入った。このお祭りは9月7日~9日の3日間、行われる。18台の曳山には笛、大太鼓・小太鼓、擂り鉦、三味線等により飾山囃子を奏でる人たちが乗り、囃しながら、秋田おばこたちが艶やかに手踊りを披露する。曳山は神明社・薬師堂への参拝、佐竹北家への上覧等を目的として練り歩く。やまぶつけはお互いに曳山をひっぱって歩く途中で行われる。相手の曳山と話し合うことを「交渉」という。参拝等を終え、進行の目的がなくなると通行の優先権がなくなり、交渉しても決裂してしまう。実力で通ることになるため「やまぶつけ」の場面になる。この時が曳き手もお囃子も最高潮になり、祭りの頂点に達する。
 町をぶらぶらと歩いていると陽が暮れかけ初めて来た。少し先の小路で何やら交渉し合っている場面を見つけ、近くに行き様子を観ていた。しばらくすると交渉が決裂してしまったみたいで急にやまぶつけが始まった。やまが「ドーン!」とぶつかりあってびっくりした。迫力があって面白い。やまが壊れはしないかと気になったが、そんなことにおかまいなく、秋田おばこたちは囃しに合わせながらそのまま手踊りを続けていた。何度とやまぶつけは繰り返された。
 町の人たちは大人も子供もはっぴ姿で一年に一度のお祭りに溶け込んでいた。にぎやかで、派手で、楽しい、このような雰囲気は昔ながらの立ち並ぶ武家屋敷と相まって何とも言われない風情が感じられた。
 来年も来てみたい。今度は最終日の9日にしようと思っている。最終日は、やまぶつけがもっと激しくなるらしいので。
 
◆ 国指定重要無形民俗文化財「角館祭りのやま行事」
 毎年9月7、8、9日に行われる角館のお祭りのはじまりは、今から350年ほど   前。地域の繁栄や商売繁盛、家族の無病息災などを祈願するもので、神明社(9月7、8日)と薬師堂(9月8、9日)の祭りが一緒になったもの。 

「角館のやまぶつけ」






2014年8月24日日曜日

大曲の花火を観に行った

 8月23日(土)、1年ぶりに大曲の花火大会を観に行った。午後から出かけたが車は会場から30分ほど歩いたところに駐車できた。
 今年で第88回となる全国花火競技大会には人口約4万人弱の大仙市大曲地区が一夜にして約70万人以上(観覧者数)に膨れ上がり、そのほとんどが1.6キロメートルの河川敷運動場に集まる。周辺道路は大渋滞。会場へ続く道路をぞろぞろと人が重なるように歩く。会場内はさらに人の山で、危険防止のため入場規制が行なわていた。
 今年から会場が変更になった。A席が広くなり、P席は土手から川に向かって左側に、C席は変わらず手前、料金もアップされたようだ。いつも無料席から観ていたのでそのつもりで会場に行った。ところが、その横一面になっていた無料席が一番右側に変更になったのでかなり歩いてやっと無料席にたどりついた。割り込ませてもらい座ることができた。親切な人もいる。有難かった。いよいよ花火が始まった。間近に見る花火は、やはりり迫力があって素晴らしい。最後の打ち止めまでいたが、ドーンという音とパラパラという音が余韻を残し会場を後にした。満足できたひとときであった。

「会場のイメージ」
「花火」




2014年7月25日金曜日

「GODZILLA ゴジラ」を鑑賞した

 イオンモール秋田のTOHOシネマズで「GODZILLA」を鑑賞した。
 1954年に東宝が製作・公開した「ゴジラ」は日本の怪獣映画の先駆けとなった。その「ゴジラ」を、ハリウッドが再リメイクした超大作である。
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 物語は日本で起きた東日本大震災による原発事故で妻を亡くした米国人科学者が、事故の原因に不審を抱くところから始まっている。一方でゴジラのキャラクターは怪獣ではなくヒーローとして描いており、ゴジラ史上最大の体長である、108メートルという迫力の体躯で戦う。主人公の米国海軍軍人をアーロン・テイラー=ジョンソンが演じ、日本からは国際的俳優の渡辺謙が、オリジナル版の精神を受け継ぐ科学者役で出演する。
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 小さい頃からいくつかゴジラの映画を見ているが、いつ見ても気分爽快にしてくれて楽しい。怪獣ゴジラが引き起こすパニックとその闘うシーンは壮絶で迫力があり、3Dで見たので、なおさらかたずをのみながら、あっという間の2時間だった。この映画は、核により生まれたゴジラに核の恐怖を投影させている。核の使用は世界を滅ぼす大きな脅威になるというメッセージである。我々はそのことを忘れてはならない、そしてゴジラの後ろ姿には、人類が世界平和であることを願いながら海に帰って行ったように思われた。

2014年5月29日木曜日

日和山公園から

 石巻に私の母の実家がある。久しぶりに行ってみた。あれから3年立った。日和山公園から見る景観が、すっかり変わってしまった。実際にこの目で見て、あらためて感慨を覚えた。 石の巻市日和山公園から撮った写真。 北上川河口に浮かぶ中瀬に「石ノ森萬画館」方面と「日和大橋」方面である。



2014年5月28日水曜日

鎌先温泉…温泉その20

 鎌先温泉の「にごり湯の宿 木村屋旅館」に東北自動車道を南下し、白石ICから国道4号線を走り10分ちょっとで着いた。旅館の玄関まで行く道は上り坂でやや狭い。旅館の人が親切に下の駐車場まで案内してくれた。
 こじんまりとしてきれいな温泉宿という印象を受けた。南蔵王不忘山麓の谷あいに湧く、谷間の閑静な温泉郷である。鎌先温泉の名称は、600年以上も前に、里人が鎌の先でさぐりあてた温泉ということに由来しているとのこと。泉質は、「ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉」で鉄イオンを若干含んでおり、古くから「傷は鎌先」と呼ばれる「薬湯」の温泉で、神経痛や手術後の保養に効果があると言われている。
 温泉宿に来るといつも三回お風呂に入る。一回目は宿に着いたとき、二回目は就寝前、そして三回目は朝食前。お風呂に入っているときがゆっくりとでき、ストレスから開放される至福のときである。三度とも露天風呂「月見浴殿」に入った。熱くもなくちょうどいい湯加減だった。夕食も美味しくてお腹いっぱい、翌朝の食事も美味しくて満足した。落ち着ける雰囲気のある温泉宿だった。



「にごり湯の宿 木村屋旅館」

2014年5月25日日曜日

「アナと雪の女王」を鑑賞

 イオンモール秋田のTOHOシネマズでディズニー映画「アナと雪の女王」を鑑賞した。デンマークの童話作家アンデルセンの代表作である『雪の女王』をヒントに、運命に引き裂かれた王家の姉妹が凍てついた世界を救うために冒険する姿を描いたディズニーミュージカルアニメである。第86回アカデミー賞では長編アニメーション賞に加え、主題歌「Let It Go」が歌曲賞にも選ばれた。残念ながら、同部門にノミネートされていた宮崎駿監督の「風立ちぬ」は受賞を逃した。アナに神田沙也加、エルサに松たか子。オリジナル版エルサ役のブロードウェイ女優イディナ・メンゼルが歌う「Let It Go」を、吹き替え版では松たか子が迫力ある歌声を披露し、大変好評である。
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 運命に引き裂かれた王家の美しい姉妹、エルサとアナ。触れたものを凍らせる秘密の力を持ったエルサは、その力で妹アナを傷つけてしまうことを恐れ、城の部屋に閉じこもって暮らしてきた。やがて成長したエルサは女王の座に就くこととなり、戴冠式のためにひさびさに人々の前に姿を現すが、ふとしたきっかけで力が暴走。真夏の王国を真冬の世界に変えてしまう。耐えきらず逃げ出したエルサは雪山の奥で自らの力を存分に解放し、ありのままの自分でいられることに生きる喜びを見出す。一方、アナは姉と王国を救うため、山男のクリストフとその相棒のトナカイのスヴェン、夏にあこがれる雪だるまのオラフとともに、雪山の奥へと旅に出る。・・・
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 脇役のトナカイのスヴェン、雪だるまのオラフのキャラクターは愛嬌があって楽しくなる。真実の愛に氷の世界が溶けるラストシーンには感動した。主題歌の「Let It Go」の歌声が映画館を出た後も聞こえてくる。面白いアニメだった。

2014年1月19日日曜日

邪馬台国について

邪馬台国論争 九州説と畿内説の決着は?

 邪馬台国はどこにあったのか? いまだに研究し続けられているテーマだが、九州説と畿内説を要約すると次のとおり。

◇九州説の根拠

 東京帝国大学の白鳥倉吉は、明治43年(1910)、著書の中で「魏志」倭人伝の記事の「水行~」「陸行~」に続く「日数」をひとまず無視し、「里数」に注目している。
 すなわち、帯方郡から北部九州沿岸地帯までの距離が1万700里で、同じく邪馬台国までの総距離が1万2000里と記されていることを重視した。つまり、沿岸地帯から邪馬台国までの距離は1300里となり、これならば、北部九州のどこかに比定できると主張し、具体的には、肥後(熊本県)ではないか、と推理したのだった。

 ◇畿内説の根拠

 京都帝国大学の内藤虎次郎は、中国の古典の中に、「東と南」「西と北」を混同する例があり、「魏志」倭人伝のいう「南」とは「東」のことではないか、と指摘したのだった。すなわち、北部九州沿岸地帯から「東に向かって水行十日、陸行一月」ならば、ちょうどヤマトにたどり着く、と考えたのである。
 「魏志」倭人伝に「邪馬臺国」ではなく「邪馬壹国」と記されているのは、「臺」を「壹」と誤ったもの。
 卑弥呼とは、「日本書紀」に現れる倭姫命で、第11代垂仁天皇の皇女娘のこと。ヤマトを代表する巫女。
 「壱与」とは、実際には「台与」と書き、第10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命のこと。

                   出典:「古代史」闇に消えた謎を解く PHP研究所より